私はほぼ毎日内省している。
というか、しないと気が済まないのだ。
そもそも、私は人より心も体も乱れていて、どこかで自分のことを吐き出さないとしんどくなってしまう。
なので内省は、自分のケアとしてうってつけなのだ。
最近やめていた、ノートに自由に書いて内省する(ジャーナリングともいう)ことをしている。
実はというと、ノートでの内省はやめていたのだ。
やり始めてしまうと、とことん内省をしてしまって、すぐにノートが埋まってしまうからだ。
そうなると、ペン代もノート代も月かかってしまう。
働いてない自分からすると、ちょっとの出費でも抵抗があり、デジタル化して、簡潔化しようとしていた。
でも結果、あまり続かず、目も疲れるし、なによりデジタルだとうまく出てこない。
書いてる気がしなくて、結局ノートに戻ってきてしまった。
やっぱり人は、自分に合った環境でないと続けたいことも続かないようである。
今も、ノートにいっぱい書いている毎日で、費用のことを考えてしまうが、その行為で自分が満たされ、満足するのなら、安いものか。と割り切っている。
ノートに書き出してから、思考やアイデア、気持ち面が整理されてきたように思う。
何より、”悩んでることを悩んでいていいのだ。”と思えたのは大きい。
ブログだって書きやすくなった気がする。(と言っても続けるのは、また別問題だけど)
やはり私は、書くことから、いろんな物事が派生していく人なんだと思う。
人に説明する時だって、ノートを使って伝える機会も増えた。
視覚的に見えた方が受け取ってもらえやすいのか、前よりコミュニケーションがスムーズになったように思う。
自分だって、ノートに書いて人に見せた方が、コミュニケーションがやりやすい。
頭の中だけのコミュニケーションって案外難しいものなのかもしれないな。と思う。
内省ばかりしてると自分大好き人間みたいに思う。
無意識化は、そうなんだろう。
けど、理解して楽になりたい自分がいる。
自分というものを知って、理解して、受け止めたい、整理したい。
そうしたら、いずれ自分とうまく付き合っていけるような気がして。
まだまだ私は自分とうまく付き合えてるとは思わない。
否定して、受け止めたくない自分ばかりである。
でもいつかは抜け出して、自分でも平気だ。案外大丈夫だ。って思えるようになったらいいなって思う。
そんな透き通った世界を見たいって思うから、私は内省を続けようと思う。
これからもよろしく、ノートと内省たちよ。
さな