今日はリサイクルショップで古着を買いに行った。
前から服を買いたいと思っていたけど、外に出るのが怖くて、なかなか足がはこばなかった。
ただ、同じ服を着回すせいで、だんだんと服の汚れが目立ってきて嫌だったのだ。
今は引きこもりだし、お金も自由に使えるほど(躊躇してしまっているだけだけど)余裕がないので、服を買うといえば古着屋となる。
それと、私は服の失敗が多い。
テンション上がって、新しく買っても結局着なかったりする。
結局いつもの着ている服を好んで着てしまうのだ。
久々に買うものだから、「一気に買おう!」と意気込んでたが、何着もその日のうちに選び抜くなんて不可能だと思ったので、必要最低限だけ買って帰ることにした。
そもそも、外に出るしんどさもあるし、服の量に圧倒されてしまったのもある笑
買いに行った私は、「1000円以下の服が見つかればいいなー」 と思っていたのだが、だいたいの服が1000円以上だった。
その店のせいなのか、物価が上っているせいなのか「これじゃ、新品買うのと変わりないじゃん」と思った。
ちゃんと見ていればあるのかもしれないが、量が多いせいで細かくは見れず、セールしてる欄に行って服を探していた。
結局その欄からは買わなかったけど、たまたま近くに自分のお気に入りのトレーナーとパンツが見つかったので、買うことにした。
試着の時に、たまたまライン登録すればクーポンをもらえると知り、その場でもらって値引きしてもらった。
2着で2000円である。
古着にしてはまぁまぁな値段である。(私が安さを求め過ぎてるせいだが)
私の中で、1枚で着れるトレーナーと、日常的に使えるパンツが欲しかったのだ。
最近の私は、身体に合わせた生活をしているせいか、華やかなオシャレな服が着れなくなった。
普段から胸が苦しいし、とにかく身体をしめつけない服を好んでしまう。
ただそれだと、形のきれいな、華のあるオシャレとは遠ざかってしまう。
それが私にとって、現実を見せつけられているようだった。
私は治ったら、SNSのようなオシャレな服装をきて、日常を過すようになると信じてるからだ。
それが私の"望み"であり、“理想"だと思っていたから。
でも、店を回りながら少し思ったのだ。
私は"理想"を生きれないのかもしれない。
"理想"を生きるのはしんどいのかもしれない。
と
理想を考えていると、妙に高揚感が強くなる。
ギラギラとした感情がたくさん湧く。
それは幸せなのかといわれたら、どちらというと苦しさだ。
そのことを彼に相談したら、「『オシャレだね。』と言われてどー思う?嬉しい?」 と返ってきた。
オシャレかと言われてうれしい…
正直別にである。別に言われたいとも思っていない。
ああ…私、オシャレを望んでいないのだ…
と腑に落ちたのだ。
私は、オシャレした姿より、内面や、スッピンの素の自分に対して、「きれいだね」と言われ方が100億倍うれしい。と思った。
私の中で外観作りはそこまでこだわるものではないんだと。
今日セールの欄に、プーマのマークがかかれた、白パーカが売ってあったのだ。
私は正直「かわいい」と思って欲しかった。
けど、周りからみて、オシャレじゃないし、スポーツ系の服なんて着ていいのか、"ださい"と思われそう。と思って買わなかった。
でも、近々買いに行ってみようと思う。
自分にとって、いいものだと思うから。
さな