さな

日常や彼のこと、自分の内面や体調のことを書いています。

不安障害な私

私は長年、不安障害を患わっています。

正直、小さい頃から不安や恐怖に浸りやすい子でした。

 

プールが怖かったり、お風呂が怖かったり、大雨や雷の音が怖かったり(当時、「耳がなくなればいい。年寄りになって耳遠くなりたい。」と本気で願っていました。今でも苦手です…)、親戚や家族がなんとなく怖かったり、学校の先生や生徒が怖かったり、体育館が怖かったり、体育館でやる劇が怖かったり、注射が怖かったり、映画が怖かったり、初めて出かける場所が怖かったり、、、

 

たくさん怖い感情を持ち合わせて過ごしていたように思います。

 

みんなが平気にしていること(そう見えてただけかもしれませんが)、私はグッと堪えて乗り越えることで精一杯でした。

そうやってみんな我慢しながら過ごしているものなのだ。と当時はずっと思っていました。

 

けど、HSPと言う概念を知って、みんなそこまで我慢して過ごしているわけじゃないと知った時、衝撃だったのを今でも覚えてます。

あんなに私にとって壁高いことが、他の人にはそれほど高くないことも…

 

小さい頃は、私が恐怖して泣くたびに、大人たちが頑張って安心させてくれていたように思います。

 

学校の劇が怖い時は、ずっと先生に引っ付いて、抱っこしてもらって、泣いていました。

終わるまでずっと泣いてたのを今でも覚えています。

 

大雨が降るたびに、部屋の端っこに行って、全力で耳を塞いで大泣きして、母親に寄り添ってもらっていました。本当に毎回毎回泣いていました。

 

夏祭りの時にゲリラがきたのが怖くて、金魚すくいの途中でポイを投げ捨てて、全力で家に走って帰って、親に迷惑かけたりもしました。(それもなかなかに危ないですが😅)

 

注射するたびに大泣きして、毎回先生と看護師さんから、優しい励ましの言葉をもらって、キャラクターシールをもらったり、注射の打った場所にキャラクターの絆創膏を貼ってもらっていたりしてました。

 

なんとか大人に恐怖の気持ちを持ち抱えてもらいながらなんとか過ごせていたように思います。

 

けど、中学ぐらいになるとちょっとずつ大人になってきます。

ましになった部分もあるけど、恐怖と不安の向き合い方はいまいちよくわかっておりませんでした。

むしろ治らないものだと思って、より我慢して堪えるようになったように思います。

不安障害だけのせいではないですが、私は自分を自分で受け持つことができなかったため、高校1年生の春に五月病になり、学校に行けなくなってしまい、、それからずっと療養中です。

 

未だに、不安障害と戦う日々です。

学校に行けなくなってから、より不安障害が悪化してしまいました。

もしかしたら、我慢したツケが回ってきただけかもしれません。

 

私は、人より不安と恐怖に向き合うのが下手だと自負しております。

みんなが乗り越えれるあろう、不安と恐怖がうまく乗り越えれません。

 

やっぱ怖いし不安です。

 

今は、社交不安障害と全般性不安障害パニック障害、どれも持ち合わせているように思います。

毎日毎日何かしら不安で、心の中はソワソワしております。

 

もうちょっと細かく持ってる不安障害の内容を語ろうかなと思ったのですが、重くてあまり向き合いたくないのと長いので内容はまた次の機会にしたいと思います。

 

ひといちばい不安だからこそ、安心ってなんだろう?ってたくさん向き合っているように思います。

 

今通ってる、漢方の先生が言ってた言葉にホッとした記憶があります。

「リラックスすることが大事って言われるけど、リラックスって難しいから、ちょっとずつ覚えていきましょう。」

そう言われて、「私の感覚は間違いじゃないんだ」とホッとしました。

 

正直、慢性的に不安になっている私からすると、リラックスするって難しいんです。

体がどうも固まっていて、奥からリラックスする感覚がどうも掴めない、、というか、できないんです。

なので、世の中で言われている「リラックスしましょう」ができなくて、とても悩んでいました。

 

なので、できない私は間違いんじゃないんだ。って、難しいと思ってていいんだ。と肯定された気持ちになりました。

 

今はまだまだ治療中です。

うまくできない日も多くありますが、ちょっとだけ向き合えたところもあります。

本当に地道に体に覚えさせて行っている感じです。

 

それと、私には歳離れた兄がいるのですが、その兄夫婦には子供がいて、姪っ子がいるのですが、兄が姪っ子を寝かしつけている時に、抱っこしながら、とんとんっと背中を優しく叩いて寝かしつけていたのが印象的でした。

 

私がされているわけではないのに、その姿を見て私が安心して、うととうとしそうになったんですよね😂

その時思った気持ちとして「赤ちゃんになりたいなぁ」って浮かんできました🫥

とってもお恥ずかしい話ですよね🫥

 

ただ、私は赤ちゃんのようにあやしてもらいたい。安心させてもらいたい。気持ちがあるんだなぁと思いました。

前から自分で、とんとんっしたり、撫でたりしていましたが、その日からよりするようになったように思います。

なんなら、自分を赤ちゃんだと思って、立ちながら揺れてとんとんっしたり笑

 

でもそれが不思議と落ち着くんですよね。あやすってすごいですね。

 

ひといちばい不安になりやすからこそ、ひといちばい安心する、リラックスする、ホッとする術を身につけていかないと生きて行けないんだなぁとものすごく感じます。

 

私はどうしても人より心が弱いです。いや、未熟なんだと思います。

だから、人より助けられることも多い人生になっているような気がします。

環境だって、きっと人より安心する場所じゃないと、自分として過ごせない(謙虚に動揺や体に不調がでる)んだと思います。

そんな自分に嫌気が刺したり、悔しさを感じたりします。

世の中からすると、「何甘い蜜吸ってんだ」なんて思われるんだろうなぁと思ったり、、

 

正直、安心した世界で生きていくことに許可を下せない。

こんなにも世の中には大変な人たちがいるのに私はこんなのでいいのかって。

 

ただ、やっぱり耐えられない。

甘い蜜を吸わないと息ができない。

 

そんな感じで、ギャップの中でせめぎ合っています。

 

人より安心した世界で暮らしていく私となっていくのだろうけど、そんな中で何か私もできたらいいなぁって思います。

安心した中で、人の役に立てたらいいな。

 

とりあえず、療養がんばろ🙏

いつかきっと治る〜!

 

さな