さな

日常や彼のこと、自分の内面や体調のことを書いています。

相手の方が正しいと思っちゃう思考やめたいなぁ|日本の背景考察

最近、言葉が強い人、常識や普通ばかり話す人、”それしかない”と言い切る人、極論ばかりの人、正しいことばっか言う人など、

日本に住んでいたら、一度は悩む人たちについて考えてる。

 

ちょっとずつ自分なりに思考が柔らかくなったり、視点や経験が増えたりし、ちょっとずつ緩和されているけど、やっぱりそーゆー人たちのことを考えると腹ただしく思ってくる。

 

そして最近、そーゆー人たちのことを考えて、イライラし、一人で怒ってる()

 

よく聞くと、その意見は一意見でしかないし、意見なんていくつも分かれているものだし、生き方ややり方だって分かれているのが自然だよね。

っとわかっていても、引っ張られてしまうよね。

 

これが同調圧力ってものか。。

 

日本にはどうしても、昔の風習というものが残っている。

それを完全に掻き消すことができないから、そのような意見が飛び交うんだろうな。

 

だけど、今の時代にその風習は合わなくなった。

時代も文明も変化するのだから、考えや生き方だって変化していくのが自然だ。

 

でも、人間そう甘く作られていないようだ。

どうしても、凝り固まった考えは、なかなか変化しないし、それが正しいものだと受け継がれていってしまう。

それが、人間の欠点でもあるのかもしれない。というか、人はなかなか変化しない生き物なのかもしれない。

 

私の持論だが、日本は世界に遅れないように、離されないようにするのに、必死だったんだ。

と考えてる。

 

前ニュースを見て聞いた話だが、戦争が終わって、高度経済成長あたりで、日本人は日本を守るために、世界から遅れをとらないように、必死に日本のために頑張っていたのだ。

今ではよくされていない、気合いや根性論(肉体的、精神的にも)、いい人材を育てる教育、過度な運動、、、など

よするに、世の中の中で正しいと広まっている、完璧で素晴らしい人を育て上げ、世界と並ぶように頑張ることが、日本の目標だったのだ。

その広まり方は、メディアとテレビ、先生を使って人々に届けられた。

当たり前に、そのやり方が正しいように広められてしまったのだ。

(ちなみに、高度経済成長あたりから、精神疾患の人増えたみたいです)

 

今の日本がどうして、一生懸命で忙しなく生き、かつ、人のためや世の中に合わせて生きることが要求、良しされてしまうのか、その背景があるからであると私は思う。

 

日本は日本の中だけで生きているようで、世界の中で生きてるんだ。と感じさせられた。

 

いい学歴になることも、いい会社につくことも、結婚して子沢山作ることも、全ては日本を守るための考えなのである。

 

それだけ、日本は追い込まれていたんだろう。(現在もだと思うけど)

戦争で負けた弊害はやはり大きかったのかもしれない。

 

残り香のように、そー言った同調圧力や考えが残っているのは、日本全体が世界に乗り遅れないように焦った気持ちや不安な気持ちがあるからだと私は思います。

 

と言っても、一個人としては、そんなの知らないよ。って話よね()

 

かつ、やっぱりそれらは無理があるように思う。

戦争で負けたように、日本には世界に敵う部分がどうしても負けているのだ。。

 

だから、本当は日本は世界には並ぶことが難しいのだと私は思う。。

 

敵わない部分があると本当は日本全体わかってるんだろう。

けど、それは努力などで乗り越えるものだと思い粘っているんだろう。

120%、いやもっと出さないと、日本は世界には敵わないのが現状なのだ。。

そんな夢を見てるのかもしれないね。

 

ということで、日本は自分たちの手で、自分たちを苦しめる社会作りをしてしまったんだろうなぁと私は思った。(それだけ必死だったんだろうね)

 

どれだけ、国を守りたいからといって、一人の人間である。

限界ってある。だから、どんどん追い込まれてしまうのも普通だと思う。

 

当たり前にそんな完璧な人材を作ることは難しいのである。

というか、人の手によって作られるものでもないように思う。

 

それこそ、才能がある子や、そもそも能力が高い子が飛躍できるぐらいの世界なのである。

 

後の人たちは、それなりにしか人はできない。だって人間だもの。

 

色々、世界と日本では揃ってるものが違うのだ。(世界のこと知らないけど)

 

と言っても、ずーと高度経済成長の中で生きてるわけでもない。

時代や文明はどんどんと変化する。

 

どんどん、新しものや考え、やり方、生き方が増えていく。

もちろん、どんどん悪くなっていくところもある。

 

そしたら、やっぱり昔の考えに従ったところで成長はできないのは、目に見えるよね。

(実際、今がその結果だろうし)

 

から、いろんな考えで生きてていいし、いろんな生き方があってもいい。

というかむしろ、いろんな変化があるから、また違うところが進化していくようにも思う。

今の時代は、やり方に乗っかる。よりかは柔軟に対応して変化していくことの方が大事なように思う。

 

だから、本当は、周りのやり方に乗っからずに、自分なりに進めていることは、時代にのれていていいし、そのままでいいと思う!(これからも変化はあり続けるもの)

 

だけど、昔のやり方に従えないだけで、人生終わるよ。ぐらいの勢いで気持ち突き落とされてしまうのよね〜〜。

後悔するよ。とか、どうしてそんな冷たい言葉しか知らないんだろうか。。

 

ただもう、そのやり方で過ごしたって、こんなに変化が早い世界で、それらが残ってくれるとは限らないように思う。

むしろどんどん昔のものたちは無くなっていくんじゃないかなって。

 

逆に、昔のやり方で過ごし続けてる方が呑気なんじゃないかって()

言ってしまえば、不毛な争いである()

 

昔のやり方や考え方に柔軟性なんてなかったし、から柔軟に考えて行動してる人たちが批判されて、傷ついたり、気持ち引っ張られたりする、やっぱりそっちの方が正しいんじゃないかって。

 

やっぱ、確固たるものだから、そもそもが強いんだろうな。

かつ、社会や人のためという、絶対的善人さも。

そうやって、日本を作り上げてきた歴史も。

日本に従って生きてきたという誇りも。

 

だから、一個人ぐらいじゃ、勢力が弱すぎて、相手が正しいとなってしまうね。

わがままにしか映らん笑 難しいね。

 

でも、柔軟さだって大事だし、作り上げていくことだって大事だし、その守ってきたものだって、誰かが作ってくれたからやれたことだし、本当はどちらも大事なんだと私は思う。

 

本当はどちらがいいなんてないんだと思う。

どっちもいい部分があり、どっちも欠点がある。ただそれだけなんだと思う。

 

相手が正しいと思っちゃう思考で、圧力に負けて、自分が間違ってるのか。って悩んじゃうけど、その昔の意見を受け止めようとしてるだけですごいことなんじゃないかな。

それだけで人は成長できてるんだと私は思います☺︎

 

フラットに思える日が来るといいなぁ。

 

オチがよくわからない記事になっちゃったけど、まぁいいか()

 

さな